--/--/--//--.
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

2010/05/25//Tue.
これを機に 哲人たらんと 思うなり

なんちゅうヘンテコリンなタイトルであることゾ!
はい、十分わぁーっておりまする。妙なタイトルでもーしゃけあーりませぬ。

若い頃(20歳ぐらい)自分は「サヨク」がかった考えをしておったと記憶しておる。これはどうも同世代の多くがそうだったみたいぢゃと判明いたした。かの有名な「小林よしのり」もそうだったらしく彼の著書にも記されておる。
ところがその「小林よしのり」と同様50歳すぎた頃からその反対側つまり「ウヨク」に傾いていることに気づいて驚いておるのである。

日本という国に今現在生息しておることにまちがいない自分というものを客観的に見たときにこの国というものの不確かさに不安と怒りとどうにかせにゃならんがそれはいったい個人としてどうすればいいのだというおもいがふつふつと湧いてくるのである。
そこで考えた結果出てくることがどれもこれも20代の頃には考えもしなかった「ウヨク」的なことばかりだということに二度驚く次第。
自分なりに「ウヨク」「サヨク」を定義するもののはある。あるが、どちらにも100%傾くことができない。中途半端な自分を再発見するのみである。たぶんそれはそれでいいのであろう。だいたいなにかの考え(他人の考え)に100%賛同することの危うさは歴史をひもとかなくても明白である。
しかし傾向ということでいうと先ほども述べたように最近は「ウヨク」っぽいことに賛同していることが多くなっている。それはたぶんまちがってはいないだろうと思っている。私なりに年齢を重ねて得た結果なのだから。

そこでタイトルなのである。
いま「ウヨク」に傾きつつある元「サヨク」的自分なればこそいまこそtetujinたらねばならんと。
tetujinとは何か?
それはいついかなるときも哲学するということである。しからば哲学とはなんぞや?
それは物事、事象にたいして自分の考えを深く深くしていくことにほかならぬ。重要なのは「自分で」というところにつきるであろう。考え抜くということこそが哲学するという基本なのである。そしてこのことを基調に行動することをもってtetujinと規定する。いつの時代も右から左まで様々な「考え」がある。あるがどれにしても他人の「考え」に過ぎない。自分の脳みそにそれを叩き込んで死ぬほど考え抜いて出てくるものでないかぎりそれは模倣にすぎぬ。

tetujinとは自分でものをとことん考える人といいかえてもよかろう。
自分で考えたことでなければ行動の結果に責任がもてようはずがないではないか。自分で考えて出した答えにそって行動すればその結果に対して100%納得ができるであろう。たとえそれが正しかろうと間違っていようと、あるいはうまくいこうと失敗しようと・・・

スポンサーサイト

未分類 | TB(0) | CO(2) |

 
プロフィール

だ~しゃま

Author:だ~しゃま
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
 

copyright (C) だ~しゃまの日々精進 all rights reserved.
[ template by 白黒素材 ]

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。